サブ3前夜6 2回目のハーフ 2011宇治川マラソン
こんにちはパセリです。前回のブログで2009年秋のハーフマラソン初出場について記しましたが、この頃はランニングに関する記録が一切残っていません。
というわけで今回の投稿は、2回目のハーフマラソンを振り返りたいと思います。
1.当時のランニング生活
今回のブログでは本題に入る前に少し余談を記してみたいと思います。
2009年の春に転職をして新しい職場に移ったのですが、そこでは自分の裁量が認められて、自分の働きがある程度目に見える成果として現れたりもしていたので、けっこうがっつり一日の時間の大半を仕事に費やしていました。
まあでも、当時は仕事が楽しくて、そんな生活は苦ではありませんでした。
当然、仕事以外に使える時間は限られてきます。なので、2009年からの数年間のランニングは空き時間ができて気が向いたら走る、という程度でした。何も記録は残していませんが、下手をすれば一ヶ月以上走らない期間があるというのはザラだったはずです。
2.2回目のハーフマラソン出場
とはいえ、職場のランナーさんからは日頃から大会で走るようお声がけいただいていたので、初ハーフから約1年数ヶ月後の2011年2月27日の第28回宇治川マラソンにエントリーしました。
ところで下の画像は、大会3日前に中止になった2020の宇治川マラソンの参加賞のTシャツのバックプリントです。
グリーンのラインが宇治川マラソンのコースの高低差を表しています。宇治川マラソンはこの高低差を売りにしています(大会ホームページにもっと見やすい画像があります。京都マラソン、大阪マラソンのコース高低差と比較されています。よければそちらもご覧ください)。
京都丹波ロードレース後半のアップダウンで撃沈した自分は、性懲りもなく大会の下調べもしないまま、こんな高低差の大会にエントリーしてしまったのです。
3.結果と雑感
そんな2大会続けて無謀なエントリーをした2011年の宇治川マラソンですが、肝心の結果は……
1時間28分23秒!
なんと見事にサブ90を達成しました! 初のハーフで1時間30分30秒、2回目のハーフであっさりサブ90だったので当時はそれほどの感動もなかったのですが、今振り返るとランニングの知識もなく練習不足で、その数少ない練習でもただただ全力で走ることしか知らないランナーとしてはかなりの好成績だったのではないかと思います。
ところで宇治川マラソンの高低差ですが、スタートから3km地点までで一気に100mくらい下っていきます。この3kmを猛スピードで駆け下りていくのはとても爽快です(他のランナーさんとの衝突に気をつけて!)。
逆にラストの2kmがやはり約100mほどの上りとなり、ここが苦しいことが想像できるのですが、自分にとっては、14km地点から始まる上り(上のTシャツの画像、MARATHONの「H」のあたりになります)がとてつもない苦しみでした。自分にとっては壁のように立ちはだかる急勾配の上りで、ここで歩いてしまうランナーさんも多くいらっしゃるのではないでしょうか。ここの上りに比べればラストの2kmは、勾配もかなりましで、ゴールも間近という気持ちもあって自分にとってはさほど苦しむことはありませんでした。
2011年の大会ではこの14km地点からの上りであるランナーさんに抜かれました。そのランナーさんがおそらく当時の自分よりも少し速いくらいの走力をお持ちだったのだと思います。14km以降のかなり苦しい区間を、その方の背中を目標に走れたことが、サブ90につながったのかもしれません。
4.最後に
この宇治川マラソンには、2011年を皮切りに、2015年、2019年の3回出場しました(2020年はエントリーしたものの中止)。エントリーするたびに参加者が少なくなっていくのがものすごく残念で、高低差の激しいコースを走ってみたい! という強者のランナーさん、2月末の宇治川マラソンを走ってみませんか?
以上、最後に勝手に宇治川マラソンを応援して、今回の記事の締めくくりにいたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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