第26回長野マラソン出走記ーフルマラソンは甘くない
こんにちはパセリです。2024年4月21日(日)、長野マラソンを走ってきました。結果は……
3時間2分58秒!(グロスタイム)
残念ながらサブスリーなりませんでした。
2月の別大以降、けがのために満足のいく練習がほぼできていなかったので(この件についてはこちらの記事にまとめました)、妥当といえば妥当な結果だったのだと思います。
(2024年2月の別府大分マラソンについてはこちら!)
それでは第26回長野マラソン、さっそく振り返っていきましょう。
Contents
前日〜当日の朝
前日は午前中の業務が長引いて長野に着いたのは19時ごろになりました。受付はつつがなく済ませたものの、その時間になると宿泊地の戸倉温泉への電車の接続が悪く、宿に着いたのは21時を回っていました。
夕食は長野に向かう特急の中で済ませていたので、この日は入浴、当日の準備をして早々に就寝しました。
ところで、この日宿泊した国楽館戸倉ホテルはレトロ感あふれる宿としてテレビ番組にも取り上げられたことがあるほど割と有名なようで、確かに昭和の温泉宿という感じでした。素泊まりで料金はかなりお手頃、部屋はお値段相当という感じでしたが、のんびり温泉に入ることができ、しっかりくつろぐことができました。また、前日夜と当日朝の駅までの送迎も非常に助かりました。この場を借りて深くお礼申し上げます。
朝は宿5:45出発とのことなので、朝食はスタート時刻から逆算して5:30に食べ終わるよう、前日に購入しておいたコンビニのおにぎりと味噌汁を食べてから出発。当日の朝食がコンビニおにぎりなのはいつも通りです。
会場入りしてからはなんやかんやと準備、アップをしているうちに整列時刻になったのでスタートブロックに整列しました。今回の大会は早めに会場入りしたので、割とゆとりをもって準備できたと思います。
当日のプラン
冒頭に記した通り、2月の別大以降ほとんど練習ができていなかったので当初は4:30/kmペース、3時間10分前後でゴール、左ひざ軟骨欠損から復帰した2022年の神戸マラソンと同じように走ろうと思っていました。
しかし!
せっかく大きな大会を走るからには、やっぱりペースを抑えず好きに走りたい! ということでサブ3ペースで突っ込むことにしました。練習不足のくせに無謀な判断だったのは結果が示している通りです(笑)。
スタート〜5km
(以下、一部を除きタイムはGarminでの手動計測です)
(1km地点での計測ができていません。)
スタートラインまで約30秒。そこからは思い描いていた通り4:05〜4:10/kmペースで走っていきます。大規模大会ですが大きな混乱どころか渋滞すらなくスムーズにペースに乗ることができました。
が、如何せん体が重い! 想定通りのペースで走ることができているとはいえ、おそらくこれまでのフルマラソンで体の状態が一番悪いのではないか、と思いながらの最初の5kmでした。
5km〜10km
5km手前からは善光寺に向かってしばらく上りが続きます。善光寺前を左に曲がると今度は緩やかな下りが続きます。この区間は沿道の声援も多く、気持ちよく走ることができました。データを振り返っても4:00/kmを切るペースで走っていたようです。
10km〜15km
10kmで前日受付を行なったビッグハットの前を通り市街地を抜けていったん堤防道路を走る区間。データを振り返るとやや速めのペースで走っていたようです。
別大の時と同様、12km付近で最初の補給食を摂りました。
15km〜20km
15km付近で堤防道路から一般道に戻って北へ。しばらく走ると前を行く多くのランナーさんたちが左へ曲がるのが見えてきます。ここはいわゆる折り返しではなく、エムウェーブ内を一周して一般道に戻るコースレイアウトになっています。
このエムウェーブ内の周回が地味にきつい! 周回コースがアップダウンというほどでもないうねりが続いて、上って下って、の繰り返しで、ここで一気に疲労感が襲ってきました。
エムウェーブを出てしばらくいくと、堤防道路を走るランナーさんの上を越えていく五輪大橋が20km地点です。橋の手前から上りが始まるのですが、まだ中間点にも辿り着いていないのに体はすでに最終盤のような重さでした。
20km〜25km
20km付近からの五輪大橋が約1km。この橋を渡ってさらに疲労感が増していきます。まだ半分が過ぎたところで精神的にもきつく感じます。この区間は無心になってひたすら前を見て体を動かしていました。
24km付近で2回目の補給食を摂りました。
25km〜30km
25kmでホワイトリングの前を通り過ぎ、しばらく走ると千曲川の堤防道路に入ります。データを見てもそうですが、25kmまでと比べてわずかにペースが落ちていたようです。
ただ、疲労感が増していたとはいえ、このあたりはまだ粘ることができたように思います。
30km〜35km
30kmまでやってきました。残りは12.195km。ここまで来れば、ペースはともかく日頃の練習で走っている距離しか残っていません。1kmずつ着実に進むことでゴールに辿り着けるはずです。
いつも通りの練習をきちんと積み重ねてきたのであれば。
30kmまで走ってきて、いったん精神的に楽になったのは確かです。ですがもう体は疲労困憊で、思うように動かないものを無理に動かしているような感覚です。堤防道路を西に向けて走り、橋を渡って東に向きを変えると35km地点。
いつもであれば35kmで「あと7kmがんばろう!」と思えるはずが、この日は「あと7kmも残っている」と思ってしまいました。
今思えば、この辺りでおそらく限界がきていたのだと思います。
35km〜ゴール
35kmを過ぎて、とうとうサブ3ペースを維持できなくなってしまいました。36km手前で摂った補給食も塩味のもので自分には合わなかったのですが、これも気持ちを後ろ向きにさせるには十分でした。
それでも周りのランナーさんについてなんとか走っていたのですが、ついにその時がやってきました。38kmを過ぎて残り4kmの距離表示を見て、
体が止まってしまいました……
しばらく歩いて落ち着いたら走り出そうという気持ちだけはあるのですが、ほんとうに体が動きません。とにかく歩みは止めず前には進んではいたのですが、どうしても走り出すことができませんでした。
しばらく歩いているとサブ3のペーサーとその方についていく集団に抜かされてしまいました。「頑張れ!3時間切れるぞ!」との声援を聞き、タイムを見ると4:30/kmペースで走ればぎりぎり3時間でゴールできそうな感じです。そこでもう一度力を振り絞って走りました。タイムを振り返ると39-40kmを4:39で走っていたようですが、これはある意味奇跡のタイムで、この時はこんなタイムで走れる力はもう残っていなかったはずです。
そして、これが限界でした。
40km手前でコースを左折し、ゴールのオリンピックスタジアムへと伸びる最後の直線。沿道からは多くの方々が声援を送ってくださるのですが、40kmを過ぎたところで今度こそほんとうに体は動かなくなりました。
どんなに力を振り絞ろうと思っても、どんなに多くの声援をもらっても、ほんとうに体は動きません。なんとか、せめてジョグペースででも走ろうと思うのですが、数百メートルジョグしては歩き、を繰り返すのがやっとでした。
オリンピックスタジアムが左に見えた辺りからはなんとかジョグを再開。しかしスタジアム内に入るとグラウンドの人工芝がふかふかで、接地の際に体を支えるだけの力すら残っていません。フィニッシュラインはもう目に入っているので、それだけを頼りにふらふらになりながらようやくフィニッシュラインを越えました。
ゴール後
ゴールした後はたいへんでした。とにもかくにも体が動かない。人の流れに任せてフィニッシャータオルやメダル、ドリンク、おにぎりをいただき、手荷物を受け取って体育館へ。そこでしばらく休憩した後着替えを済ませ、シャトルバスで篠ノ井駅へ向かいました。
篠ノ井駅からJRで長野に戻って昼食を食べるつもりだったのですが、ここまで何度も述べてきたように疲労困憊で、券売機の列に並ぶのも億劫で、先に昼食を食べずに長野まで移動できる気力もありませんでした。結局篠ノ井駅からほど近い中華料理店で昼食を食べました。
いや、画像の棒棒鶏もこの後にきた台湾ラーメンも美味しかったんです。ただ、せっかく長野に来たので美味しい蕎麦を食べたかったのですが、その希望はかないませんでした。
もう一点、せっかくの長野なので善光寺にお参りしたかったのですが、その希望も叶いませんでした。
38kmで走るのをやめてしまったこともそうですが、食べたいものを食べることもできず、訪ねたいところを訪ねることもできず、いろいろ宿題をいただいた2024年の長野マラソン。その振り返りはこれで締めくくろうと思います。
長野マラソン、リベンジのためにもう一度走りたいですね!
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